第1幕
みんなはジャニーズと聞いてどのグループを
想像するだろうか。
嵐、キンプリ、SMAP色々あると思うが、
私がジャニーズという文化に触れたのは3歳くらいの時だった。
母親が根っからのSMAPオタク、キムタクの女だったので、ちっちゃい頃からSMAPを見てSMAPを聞いて育った。
余談だがその頃の父親がロン毛で、当時のキムタクもロン毛だったのでキムタクの団扇を見て、これお父さん?って言った時は母親にしこたま怒られたのを覚えている。
さておき、
私の人生がガラッと変わったのは、小学2年生のクリスマスの日だった、親戚にもジャニオタがいた、それに釣られて見たのが
関ジャニ∞の「fight for the eight」のPVだった。
バニーガールに囲まれてる陽気な男や色気ムンムンの泣きぼくろが特徴の男がバンバン出てきたが、その中でも初めての衝撃が走ったのは、
金髪のちっちゃい人だった。
その瞬間から私の人生は変貌を遂げた。
そしてすぐさま名前を聞いた、
低学年ながらエイトレンジャーの映画は見に行った、テレビを欠かさず見ていたが、
まだ年齢が年齢だったのでライブには行けず
そのまま月日だけが流れて行った、そして、
2013/12/14 札幌ドーム JUKE BOX
初めて生で関ジャニ∞を見た。あの衝撃、あのショック、初めて何かに触れた感覚全て忘れられないものだった。席は天井だったものの、彼らの熱量やメッセージは半径2センチレベルで伝わってきた。その瞬間関ジャニ∞という存在が大きくなった。
帰宅して速攻ファンクラブに入り、Twitterで専用垢を作り、タグをやり、色んなeighterさんと繋がった。
周りにeighterがいなかったのでそこが唯一の居場所だった。
そして翌年。
2014/11/17 札幌ドーム 関ジャニズム
初めて自名義で入った。アリーナだった。
今思えば埋もれ席だったが、あの時はアリーナと言うだけで特別席並の気持ちになれた、
それだけで幸せだったのに。
安田章大に見つかった、見つけて貰えた。
その瞬間「あ、存在するんだ」と震えた、
その瞬間全てが狂ったように安田章大を追いかけるようになった。
そんな矢先だった。
学校でハブり、目の前で悪口、物が捨てられる等のいじめが起きた、親にも言えず、1人で引きこもるようになった。
死のうとした、
そんな時ピンクのiPodから聞こえてきたのは、LIFE〜目の前の向こうへ〜だった。
前向きな歌詞と
最後のまだまだ終わらないから
この言葉にとても救われた。
私の人生はまだまだここじゃ終わらない。と、
しばらく経っていじめはなくなった。
救ってくれた安田章大に感謝を
伝えたいと思った。
2015/7/18 兵庫 ワールド記念ホール
関ジャニ∞ リサイタル お前のハートをつかんだる!
初めての遠征をした、そして初めてネットで会った子と参戦した(今じゃ年1参戦するニコイチ)
席は生きてきた中で未だに超えてない程いい席でほんとにほんとに記憶が薄れるくらい近かった。
同じ年の2015/12/18 関ジャニ∞の元気が出るLIVE!!
終盤の気球に乗る場面があった。
その瞬間安田くんにまた見つけて貰えた。
ありがとう!とは言えなかったものの
よく頑張ったねと言われた気がして泣き崩れてしまった。
初めて同じ年に2回も会ったので
完全に安田章大1色に人生は染められていた。
そして私には安田章大しかいないんだ、
関ジャニ∞に依存するようになった。
2018/4/15 渋谷すばる 突然の退所
なにがなんだか全く分からなかった。
関ジャニ∞は7人。
ずっとこの7人で。
7人+eighter。
呪文のように唱えてきた言葉がこの一瞬で
過去のものになった。
ショックすぎた、失ったものが大きすぎた、
記者会見、メンバーの言葉、なにも頭に入ってこなかった。泣くことしかできなかった。
そして、2018/7/2 安田章大 髄膜腫手術&骨折の報告。
脱退記者会見に安田章大の姿はなく、
お風呂場で転び怪我のためしか説明がなかったので、なにやってんだよーとしか思っていなかったが、
まさか命の危機にさらされていたなんて思わなかった、あの時私は命を救って貰ったのに、
私は命の危機すら気づけなかった。
「ファンの方々を心配させたくなかったので」
この言葉が安田章大の決意だと確信した。
後遺症が残って、サングラス無しでは生活出来なくなった安田章大をみて、誓った。
絶対にサングラス越しでも輝いている世界を一緒に見る。と
6人で初めてのライブ 2018/7/15 札幌ドーム GR8EST
舞台上には本当に6人しかいなかった。
7年間7人で見慣れてきた景色には慣れなかった、受け入れられてなかった。
でもライブは関ジャニ∞のままだった、
7人の熱量、気合い、本気、泥臭さ
はなにも変わってなかった。
6人で快進撃見せてくれよ!!!!
という気持ちだった。
2019/7/29 京セラドーム 十五祭
札幌公演は勿論参戦したが、
初めて聖地大阪、京セラドームでみる関ジャニ∞は札幌では見れないくらい家族でリラックスしていた。
昔から歌ってくれるまでオタク辞めない!
と言っていた「ひとつのうた」を
ラストに持ってきた時は涙が止まらなかった。
このまま6人でよろしくお願いしますと深深と頭を下げたというレポをみて、
これから楽しみだとワクワクしていた。
そんな矢先だった
2019/9/5 錦戸亮 突然の退所
なにがあったかわからなかった、訳が分からなかった。
すばるが脱退した時メールで
これからの関ジャニ∞はぼくが引っ張っていきます。
その言葉はなんだったんだろうか、
100を6で割ったら16.66になる。
そんな彼の言葉はなんだったんだろう、
疑問しか残らなかった、多くは語らない、
彼の姿 分かりたくなかった、
受け入れたくなかった。
でも、分からなければならなかった。
関ジャニ∞が好きだから。
ずっと封じ込めていたGR8EST メイキング映像を見た。
6人としての決意、全てが詰まっていた。
最初から最後までずっと泣いていた、
号泣していた、嗚咽するほど泣いた。
全てを背負って全身全霊捧げてきたのが伝わった。
メイキング映像を見終わったあとは、
裏切られた、どうするんだ
そんな気持ちはなくなっていた、
1年頑張ってくれてありがとう。
この言葉に尽きた。
正直5人になった関ジャニ∞を私はまだ
受け入れられていない。
安田章大がいる、
このうっすい今にも切れそうな糸だけで
関ジャニ∞を見ている。
私はあの頃の7人の記憶のまま、
関ジャニ∞は7人。
未だにこの呪文から解かれていない、
5人になった関ジャニ∞、
人々は決意を感じる、応援したくなった、これが関ジャニ∞だ!とか
前向きな意見が多い、
だから
私みたいなオタクは身が狭い。
潮時。この言葉がしっくりくる。
今まで沢山助けてくれてありがとう。
安田章大は永遠。
私の第1幕は終わりを告げた。